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「万作萬斎新春狂言2016」を観たのでその感想。
「万作萬斎新春狂言2016」とは
「萬斎」は「のぼうの城」にも出てた野村萬斎さんのことです。
その新春狂言です。
のぼうの城 通常版DVD [ 野村萬斎 ] |
初めての狂言で「万作萬斎新春狂言2016」を観た感想
狂言自体が初めてだったので楽しめるか心配でしたが、説明もしてくれるので思っていたよりも全然分かりやすかったです。
1回行っただけで箔がついた気持ちになり、「狂言見に行く俺かっけーw」って自分に酔うことも可能。
- 行く前 → 狂言楽しめるかな
- 会場到着 → 年齢層高いなあ
- 野村萬斎さんの説明 → 成る程そういう話か、分かるかも
- 文荷 → 面白い!ちゃんと分かる!みんなが笑うタイミングで自分も笑える!狂言いいなあ!
- 休憩時間 → 狂言面白いなあ、今年から趣味にしよう、狂言楽しめるなんて大人だなあ(´-`).。oO(俺かっけー
- 猿聟 → 集中力切れて話に追いつけない…!動きは確かに猿っぽい!
野村萬斎が先に説明してくれた狂言の内容
狂言を始める前に野村萬斎が狂言の内容を先に説明してくれるので、ある程度内容をわかった状態で見ることができます。
そして、この説明自体もエンターテイメントです。
文荷(ふみない)
狂言は大抵「この辺りのものでござる」で始まる。
ニューヨークでもニューヨークで公演したときはこの辺り(ニューヨーク)のものでござると言った。
名前は名乗らない
冠者=召使
狂言が盛んだった頃は少年を愛でることが普通だった。
主人がせんみちさん(アイドル的存在)に「昨日みたいなパーティに今日も来ませんか」って内容の手紙を出そうとする。
2人は嫌がるけど届けることになるが、その手紙は紙切れ一枚だけど想いが詰まっていて重い。
2人が重くもないものを重い重いと冗談を言いながら交代で持つ。
そのうちに「どうして重いんだろう」と中身が気になりだす、
狂言に出てくる人は理性のある人じゃなくて正直者が多い。
正直者の太郎冠者と少し理性のある二郎冠者が言い争った結果、太郎冠者が勝ち、手紙を開けてしまう。
古典的には筆跡のことを「手」というのだが、手紙の手(文字)が汚いとか墨が薄いとかいいながらついさっきまで押し付け合っていたはずの手紙を取り合いになる。
そして、「なぜ重いのか?」について洒落たことを言い合う。
途中で能のパロディが入ったりしながら紙切れ一枚を取り合っているうちに破れてしまい…という内容。
猿聟(さるむこ)
猿しか出てこない芝居。
登場人物は嵐山に住むマシ(猿のこと)。
猿が婿が来るから正装してる。
太郎冠者猿を呼び出す。
婿入りとついになる言葉は嫁入り、当時は今の結婚式のように両家一緒にするんじゃなくて、お婿さんがお嫁さんの実家を尋ねる。
かつて吉野と嵐山の桜はどちらかがどちらかに種を移した。
猿の種が吉野と嵐山に交配することが暗示されている。
人間と違ってお猿だけでやるからおいたをする。そこを楽しむ。
途中で猿にちなんだ言葉が出てくる。猿らしい舞をしながら舞いおさめる、めでたい戯曲。
あらすじがパンフレットに書かれている
説明に加え、パンフレットにもあらすじが書かれているので舞台を理解しやすいです。
文荷のあらすじ
主人が二人の冠者を呼んで、稚児へ手紙を届けろと命じる。
恋文と察した二人は持つのが嫌で互いに押し付け合った末に一緒に運ぶことになり、竹竿に結わえて二人で担ううちに、ことのほか文が重いのは〈恋重荷〉だからと、その一節を謡いながら運ぶ途中で、我慢できずに手紙を開き、あげつらって読むうちに…。
能「恋重荷」のパロディで、小歌節など聴きどころたっぷりの太郎冠者狂言。
猿聟のあらすじ
長らく嵐山に棲むという 舅猿が、今日は吉野山の聟殿が聟入りのために来るからその支度をするように、太郎冠者猿に言いつける。
そこに聟猿が姫猿、お供の猿を引き連れてやってくる。
道行きの謡をうたいながら嵐山に到着して、舅猿と対面。
めでたく式を済ませた後はお決まりの酒宴となり、互いに謡や舞を披露して…。能「嵐山」の替間(特殊演出)を独立させた、異色の聟狂言。
嵐山の桜は吉野から移植したものというモチーフに、両所の猿の婚姻という立体的な彩りを添えた狂言ならではの趣向も楽しく、賑やかに繰りひろげます。
「万作萬斎新春狂言2016」の所要時間と価格
所要時間は
- 説明30分
- 文荷25分
- 休憩20分
- 猿壻45分
でした。
6000円の価値はあります。
ただ単に面白いだけでなく、少し賢くなった気分と格上の人間になれたかのような気分になれます。
「万作萬斎新春狂言2016」を観たら狂言にハマるかも。