B級映画『ソーセージパーティー』の感想|下品だけどスゴイ教訓

この記事を読むのに必要な時間は約 5 分です。

B級映画『ソーセージパーティー』の感想|下品だけどスゴイ教訓

この記事を読むのに必要な時間は約 5 分です。

B級映画『ソーセージパーティー』は下品だけどスゴイ教訓のある映画。

感想含めて書いていますがネタバレありなのでご注意下さい。

映画『ソーセージパーティー』とは

映画『ソーセージパーティー』とは

スーパーマーケットの食べ物たちがキャラクターの下品なB級映画。

食べ物たちの間では人間は「神様」と呼ばれ、神様に連れていってもらえる外の世界は素晴らしく、幸せになれると信じられていました。

しかし、実際には恐ろしい世界が待っています。

主役はソーセージです。

ソーセージパーティーやってる映画館は少ない

「ソーセージパーティー素晴らしいので見てください!」

と言いたいところなのだが、やってる映画館少なすぎ。

関西では梅田でのみ上映されています。

ソーセージパーティーやってる映画館は少ない

ソーセージパーティーが教えてくれたこと

ソーセージパーティーは下品なだけじゃありませんでした。

下ネタを交えながら僕たちに大事なことを教えてくれます。

無意識に人を傷つけていないだろうか

ソーセージパーティーが教えてくれたこと

ソーセージパーティーの映画の中では

  • 私達が普段はなんとも思っていない食べ物たちが食べられることを怖がるし、
  • 食べ物にとって食べられることは死ぬこと。

普段こんなことは考えませんが、これって私達の過ごしてる世界にもあることです。

  • 自分たちが知らないところで傷つけてしまっている人がいるかもしれない。
  • 犠牲になってくれている人(や食べ物)たちのおかげで生きている。

このようなことを作者は改めて言いたかったのではないでしょうか。

常識は正しいとは限らない

常識を疑うということ

ソーセージパーティーの世界では元々は

「神である人間に買われて外の世界に行くことで幸せになれる」

ので、食べ物たちは毎日その日が来ることを待ち続けています。

ところが、主人公のソーセージであるフランクがその常識を疑い始め、外の世界に行くと幸せになれるという常識が

「秩序を保つために作られた常識であった」

ということに気がつきます。

これって私達の世界でももしかするとあることかもしれません。

  • 本当にニュースは正しいか?
  • 「人工地震」だったんじゃないの?
  • 「不正選挙」だったんじゃないの?

と疑う心はなくしてはいけないですね。

幸せは待つのではなく自ら手に入れようと戦え

自分たちで切り開くということを教えてくれた

物語の後半、これまで人間に買って帰られるのを待ってるだけだった食べ物たちが

フランクと仲間達の訴えにより

真実に気が付き、人間たちと戦います。

コーラやメントスのように自らを犠牲にしてでも戦った結果、ついに勝利します。

そして、人間を倒した食べ物たちは性的な意味で自由を満喫します(下品なシーン)。

いつまでも買って帰ってもらうのを待っているだけじゃ何も変わらないまま終わっていました。

これって私たちにも言えること。

ただ幸せになるのを待っているだけではいつか死んで終わりです。

「自分たちで行動して幸せをつかもう」

ということをソーセージパーティーは教えてくれます。

ソーセージパーティーは人生を変える映画

ソーセージパーティー観る前はただの下品なB級映画だと思っていましたが、教訓のある映画でした。

まあまあ下品ですが少し視点を変えて観てみると人生変わる人も出るかもしれません。もう、R15じゃなくていいと思う。